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キリムとは?お土産としても人気なトルコの伝統工芸品の魅力と歴史


キリムは、主にトルコのアナトリア地方の遊牧民によって受け継がれてきた伝統的な平織物です。その歴史は古く、遺跡からは紀元前のものと思われるキリムも見つかっています。

織り手によって異なるエキゾチックなデザインや、温かみの感じる鮮やかな配色など、独特の魅力を持つキリムはトルコ旅行のお土産としても人気です。ここでは、キリムの特徴や種類、歴史、ギャッベやトルコ絨毯との違いについて解説します。

キリムとは?

キリム
キリムは表と裏の二重に並べたたて糸に横糸を通していく平織りの織物です。絨毯とは異なり、毛足がないのが特徴。織り上がるにつれ、カラフルな横糸によるモチーフが鮮やかに浮かび上がります。地とモチーフは一体のものとなり、一目で判別するのは難しいかもしれません。

キリムのモチーフは何かしらの意味を表す手段であり、地の色や形はそれを解くかぎとなります。地とモチーフは写真のポジとネガの関係に似ているといえるでしょう。

キリムの種類

キリムのサイズはさまざまで、小さいものは縦50cm×横40cmほど、大きなものになると縦200cm×横140cmほどにもなります。部屋の広さにあわせて最適なサイズを選びましょう。壁に飾るつもりなら小さいサイズがおすすめです。

キリムは、織られた年代によって値段や特徴が異なります。30年以上前に遊牧民女性が織ったとされるのがオールドキリム、比較的年代の新しい販売・輸出用の品はニューキリムと呼ばれます。一般的に年代の古いものほど高価ですが、それぞれに良さがあります。

キリムはものによっては高額なので、気軽にお土産として購入するなら、キリムのクッションカバーやテーブルクロスといった小物にするのもよいでしょう。

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キリムの模様には一つひとつ意味が込められている

トルコ絨毯やキリム、そのデザインや色は織り手が勝手気ままに選んだものではありません。それぞれの地方により、はっきりとした特徴を堅持し、長い伝統と地域の独自性を主張しています。ほんの数キロ離れた村で、全く趣の違う絨毯やキリムに出会うことも珍しくありません。

特にキリムにはその土地の自然環境や生活習慣、信仰やモラルが色濃く反映されています。アナトリアの民衆の故郷の大地への愛着、より良き暮らしへの強い願い、織り手としての経験や喜怒哀楽、家族への思い、希望、若い娘たちの愛や結婚への憧れ…胸に溢れるメッセージが結晶しているのです。

キリムには、祖母から母、母から娘へと伝えられた伝統的なデザインが存在します。それぞれのモチーフを頭に、誰のものでもない織り手自身の芸術が完成されていきます。先祖代々からのモチーフとはいえ厳密な掟があるわけではありません。様々に手を加えたり、時には新しい模様を作り出すこともあります。

例えば昔からトルコ絨毯やキリムにポピュラーな「エリベリンデ(両手を腰に)」と総称されるモチーフがあります。原点をたどると新石器時代のチャタルフユックの壁画にまで遡る、豊饒を象徴するモチーフのひとつですが、長い歴史を経るうちに、幾つものバリエーションが生まれました。そのすべてが、ふくよかな女性像をイメージした特徴を堅持しています。

キリムや絨毯を織る女性たちの手は誇りに満ちて美しく、その動きには創造の喜びが感じられます。時には爪を赤く塗っていることもありますが、ヘンナの粉で爪を染めると細かい織りの作業にも爪先が割れないということを、彼女たちは体験から知っているのです。

温かみのある独特の配色もキリムの魅力

モチーフばかりでなく、配色にも主張が見られます。すべての色がそれぞれに異なったトーンを持ち、同じ色でも素材との組み合わせによって微妙な違いを見せます。染め方も祖先からの秘伝を大事に守っているところが多いのです。

草木など自然の素材を頼った染色にはわざとらしさのない独特な美しさがあり、時と共に味わいを増し、いつまでも目を楽しませてくれます。一時は便利な化学染料に圧倒されたトルコでも、素朴な草木染めの魅力が再び見直されてきているのはうれしいことです。

トルコ絨毯との違い

トルコ絨毯
トルコ絨毯は、ターキッシュノット(トルコ結び)あるいはギョルデスノットと呼ばれる二重結び法で作られます。平織りのキリムは二重結びのトルコ絨毯に比べて、図柄がディテールまでいっそう明確に浮き出ます。そのおもしろさにひかれ、キリムの図柄を読みとれるようになったら、アナトリアの民衆の心を理解できたといえるかもしれません。

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ギャッベとの違い

ギャッベは、ペルシャ(現在のイラン)の山岳地帯で暮らすカシュガイ族と呼ばれる遊牧民によって織られているものです。毛足が長く丈夫なのが特徴です。すべてハンドメイドで、温かみのある素朴なデザインは、一つとして同じものはありません。

トルコの織物の産地

オスマントルコ時代、16世紀の調査によるとそれぞれ民族部族の名を冠した独自の織物を生産する町や村の数は883にのぼっていました。しかし現在では444と半減してしまいました。

その主な土地としてはサルキョイ、ベルガマ、ユルク、バルケシル、シヴリヒサル、ダスクリ、チャル、アフィヨン、ウシャク、デニズリ、アイドゥン、マラティヤ、シヴァス、ムト、カイセリ、アクサライ、ニーデ、カラプナル、コンヤ、オプルク、ガジアンテプ、レイハンル、アダナ、アンタルヤ、フェティエ、ヴァン、ディヤルバクル、カウズマン、カルズなどが挙げられます。

キリムの織り手は遊牧民の女性

トルコのキリム
長い歴史を遊牧民として生き抜いてきた部族、集団の中でも、近年では定住、あるいは半定住生活に入った人々も多くなっています。昔ながらに家畜の群れと共に草を求めて移動する遊牧生活を営む人々はかなり少なくなりました。とはいうものの、トルコではアナトリア東部や南部、西部に今も彼らの姿をみることができます。彼らの暮らしには皆からの伝統と習慣、モラルや考え方が色濃く残されています。

アナトリア各地で飼われている羊の数は4千万から5千万頭にのぼるといいます。羊はいわば生きた缶詰です。食肉としてはもちろん、乳製品を加工し、皮や毛のすべてを利用できるので、トルコ経済においても食品と毛織物、皮革産業を支える重要な存在となっているのです。

遊牧民はいわば原材料、素材を常に自分自身と共に運び歩くともいえるわけで、ヤイグ(敷物の一種、毛布)を例外として、ほとんどの織物は遊牧民に起源する芸術ということができるでしょう。

キリムや絨毯は遊牧民にとって欠かせないもの

特にラグや絨毯は、乾ききった埃っぽい草原に家畜と共に暮らす人々の生活必需品から発達しました。彼らは緑ゆたかな土地にしばしとどまり、動物に草をはませ、乳を搾りチーズやバターに加工し、毛を刈ります。毛を刈るのは普通は年に1度、川で洗い、木槌で叩き、石の土に広げて乾かします。そして、糸を紡いで機を織るのです。

彼らは草を求めて移動します。厳しい冬を前に秋の気配が深まると山を降ります。家財道具のいっさいを持ち歩くため、その暮らしは身軽でなければなりません。すべてを絨毯やラグに包み、動物の背にのせて移動するのです。遊牧民、特に女たちの暮らしは怠慢や甘えを許さぬ厳しいものです。

大自然の中で、大家族と動物の世話をしながら、束の間の余裕をみては手仕事にはげみ、子を生み、育てます。彼女たちは強くて陽気な働き者です。暮らしの伝統をきっちりと守りながらも、前を見つめています。祝いごとや祭りには家族と共に羊など犠牲に捧げ、聖者の墓などにお参りします。

しかし、遊牧生活の中で彼女たちはのんびりする暇などありません。移動の途中でも、ラクダは荷を下ろしてもらい、膝を析って休息を取ることができます。しかし女性たちは休む間もなく荷をほどき、柱を建て、天幕を張り、数日間の住まいを整え、水を汲んできて火をおこし、平たいパンを焼き、料理に取り掛かります。ほっと一息ついた時でさえ、手は休むことを知りません。木製の紡ぎ車を手に糸を紡ぎます。

再び、移動の朝が来ると、荷をまとめて絨毯やラグでくるみ、ラクダの背に積み込みます。険しい土地を進むには馬やラクダ、ロバが一番役に立つのです。遊牧民の黒テントは夏は涼しく冬は暖かくなります。気候条件や生活様式にふさわしいこの天幕の素材は身近な黒山羊の毛を使っています。

このようにして遊牧民の女性たちは日々を過ごし、年月を重ねて老いていくのです。

トルコのキリムや絨毯は伝統と文化の象徴

トルコのキリム
もちろん、アナトリアで織物に携わるのは遊牧の民ばかりというわけではありません。

とうの昔に遊牧生活を捨て、定住した人々も又、先祖から伝えられた伝統を守り続けています。都市に生活の場を求めた人々も多くいますが、山深い村に暮らす人々もいます。商品経済の場から遠く離れても生活はできますし、彼らは町での消費生活よりも、自分たちのライフスタイルに重みをおくのです。

耕作に適した土地には恵まれないため、農業だけに頼ってはいられません。だから織物で稼ぎ出す女性たちの力は家計に大きな比重を占め、村の経済にも貢献することとなります。

しかし、結婚してからも機織りを続けるのは経済的な必要からだけではありません。

恐らく彼女たちには伝統工芸を守るという意識はないにしても、もしその手から織機を取り上げたら、最大の誇りと喜びを奪うことになるでしょう。

遊牧生活を営む人々は夏を高原の放牧地(ヤイラ)で過ごします。緑豊かなヤイラの夏にはトルコの都会人も強いあこがれを抱いています。女たちにとっては移動の日々から解放されて、落ち着いて織物に精を出すチャンスです。しかし、村に暮らす女たちにとってはちょうどその反対で、夏は畑仕事に追われる季節であり織機の前に腰を落ち着けるのは冬のことです。

アナトリアの女性たちは絨毯やキリムを織るばかりでなく、自家製の上等な糸を使い、しっかりした生地を織って自分や家族の衣服を縫い上げます。

髪の毛を覆い、顔の輪郭を形どるスカーフには、それぞれ工夫したオヤと呼ばれる細かい縁飾りを施します。テーブルクロスやベッドカバー、枕カバーに刺繍し、手袋や靴下を編み上げ、若い娘たちも嫁ぐ日のための準備を怠りません。アナトリアの女性たちの手仕事は幅広いのです。

わずかばかりの毛糸でも無駄なく利用して敷物やテント、背負い袋やマットレス、紐や履物に変えてしまいます。袋物には動物の皮も重宝されます。遊牧の際の水瓶ともなるし、穀物なども入れることができます。このような袋物にはそれぞれの家紋ともいうべき、特有のモチーフで飾ることが多いようです。例えば畑仕事用、特に種を入れておく袋には穀物の穂や植物、小鳥など豊饒の願いを込めたモチーフが見られます。

絨毯やキリムはトルコの女の美意識、色彩感覚と指先の技、そして辛抱強さを見せる最高の機会です。羊の毛を刈り、洗って糸を紡ぎ、自分たちで集めた植物を原料として美しく染め上げ、織機を整え、織り始めます。紙もペンもいりません。

遊牧の民として生きてきた女たちの中には、読み書きを知らないものも少なくありません。しかし、彼女たちは夢やあこがれ、あふれる愛情や人に言えない苦しい胸のうち、悲しみや怒り、すべてを機に向かって織り上げていくことができます。

アナトリアの女性たちは寡黙です。口数少なく、つつましい彼女たちは織物や編み物、刺繍にその本心を披露するのです。そのことばは抽象化した動物や植物、幾何学模様として綴られるから、我々が見ても理解することは難しいかもしれません。

のびのびとした大まかなライン、素朴で素直な色彩には率直な、時には粗野とも言えるような強さと自己主張が感じられます。アナトリアの自然は氷のような冬から春の喜びを味わう間もなく乾きと灼熱の夏が訪れます。もしかしたら、人々の気質もまた同様なのかもしれません。

トルコのキリムは、平原を渡る風に乗って運ばれる彼女たちの歌声です。幸せや悲しみ、喜びと苦悩、寂しさ、怒りや希望、そして神への祈り……彼女たちの織り上げる内なる叫びは、それを理解できるものだけが読み通すことのできる一巻の書物ともいえるでしょう。

キリムの色・染色方法

キリム
何と言っても我々をとりまく自然こそが、美しい色彩の宝庫といえるでしょう。

草や木、花、果実あるいはどこにもあるような土でさえも、それに含まれる鉄分などによっては染料となり、美しい色を生み出します。人間は太古の昔からその秘密を良く知り、巧みに活用していました。例えば、紀元前9世紀のアッシリア帝国ではユダの木(西洋花ずおう)で染めた真紅のウールに人気があったといいます。

セルジュクトルコ、オスマントルコ時代にも草木染めなどの天然染色は、織物はもちろん、インクや墨流しなどの工芸にも広範に利用されていました。

自家用ばかりではなく商品としての価値も大きかったといいます。15世紀の史料にも貴重なケルメス(コチニール,えんじ虫)、あるいはアカネ、インディゴその他染料となる植物がアナトリアのスミルナ(今日のイズミール)の港からヨーロッパに大量に積み出されていたと記されています。

特にアカネは世界の需要の3分の2を供給し、“金のなる木”として珍重されました。その種の植物は国家の綿密な管理の下に、細心の注意を払って栽培されていたのです。

16世紀の史料によると、絹織物の中心地ブルサは染色技術もすすんでおり、アナトリア各地からのキャラバン(隊商)の往来で賑わっていたといいます。

1868年、ヨーロッパでグラベールとリーベルマンという二人の学者により合成染料が発明され、その名も「トルコ赤」と名付けられて評判になりました。

その成功は、染料を輸出していたトルコにとっては大きな打撃でした。1882年になると、ついに草木染めの本場トルコにまでヨーロッパの安価で手軽な化学染料が入り始め、アナトリアの染色業界は衰退の一途をたどるしかありませんでした。

しかし、遊牧民社会から草木染めが消えたわけではありません。彼らは今日もなお古くからの方法で、経費をかけずに自らの手で野山で採集した材料から、手間ひまをかけて昔どおりの色をつくります。

それはけっして簡単な仕事ではありません。植物を選び、集め、煮ます。材料の量や温度、水質(石灰分の具合)など微妙な条件で仕上がりに大きな違いが生まれるから、長年の経験を必要とする仕事です。色のにじみをおさえ定着させるサイズ(陶砂:どうさ)もまた、植物を材料としてつくることができます。

天然染色の成否には糸の質も重要です。草木染めに適した羊毛は手足の長く柔らかいもの、弾力があってくっつかない、手紡ぎのウールです。

キリムやトルコ織物の歴史

キリム
太古の昔、人類がこの世に誕生して以来、ひとは厳しい自然環境の中でさまざまな試行錯誤や学習を繰り返し、知恵を身につけてきました。

暑さ寒さから身を守るために衣服を身にまとったのもそのひとつです。最初は動物の毛皮をはいで乾かし、身をくるんだのでしょう。織物を覚えたのは人類の歴史の大きな進歩のひとつでした。その初期の頃は樹皮や草皮繊維を編んだ単純なものだったが、やがて素材の幅も広がり、さらには美意識が芽生えてきます。

人類初期の歴史における織物の発達の様子は、世界各地の古代遺跡から推察できます。初歩的な織物は地域にかかわらず、たで糸と横糸を組み合わせたごくシンプルなものです。古代文明の発祥の地のひとつ、エジプトのナイル河流域では紀元前5500年から4500年前に織物が始まっていたといいます。

シリアの地中海岸や、ペルシャ湾でもかなり早くから織物が行われていました。

中央アジアでは羊毛による織物が発展

中央アジアで絨毯が織られ姶めたのは紀元前1500年頃にさかのぼりますが、最初は平織りのキリムから発展したようです。そもそも中央アジアは羊毛や羊毛加工品の主たる産地でした。紀元前8000年頃に野生動物、特に羊を飼いならすようになると人々の生活は大きく変化します。生活は向上し、動物の毛や皮、乳や肉を利用する加工技術も進歩しました。

1904年に中央アジア、カスピ海沿岸のアナウ地方でラファエルが行った発掘では、紀元前8000年頃から6800年頃までの4段階の文化の跡が確認され、前8000年頃の紡ぎ車が発見されています。

同じトルキスタンのナマズガ遺跡の発掘凋査によると、羊の毛を織物に利用し始めたのは紀元前2250年頃と推定されています。南シベリアのカラスク古墳(紀元前1250-700年頃)からも羊毛を紡いだ衣服の一部が発見されています。

今世紀の半ば、アルタイ山地のパジリクを発掘したロシアのルデンコは紀元前5~4世紀のものと考えられる古墳を発見しました。スキタイ族の墓と考えられるこの古墳は厚い氷の下で凍結していたおかげで、織物など普通なら腐食してしまう材質の品が多数残されていました。

その貴重な出土品はサンクトペテルスブルクのエルミタージュ美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館などに保管されています。布地としては平織りのキリム、フェルトのアップリケ、結び方式の絨毯などが確認されました。糸の品質や織り方、デザインは当時の技巧の水準の高さを示し、古代の生活の香りを伝え、手仕事の素晴らしさを我々に語ってくれます。

また、オーレルスタイン卿は東トルキスタンの楼蘭で、砂の中から3世紀の絨毯の一部を発見しました。その不揃いな菱形模様、素朴な農民風のデザインや織り方から、トルコ民族の手による絨毯と考えられています。

遊牧生活を営む中央アジアで、羊毛を主とした織物が幅広く行われていたのは当然のことでしょう。49年に書かれた中国の歴史書には千頭の馬と数千匹の羊を持つ裕福なフン人の一族について記しています。フン族は羊毛で織ったマットやカバーを中国に売っているという記録もあり、金糸の衣装を身にまとい、みごとな絨毯を敷き詰めた巨人な天幕に暮らす王者のことも記されています。

中央アジアの話はさておいて、トルコ族は中央アジアを故郷とし、5世紀頃にはオクサス河(アムダリア)の北にいたことが明らかになっています。本来はシャーマニズムを信奉する民族ですが、仏教やマニ教、ネストリウス派キリスト教など東西の諸宗教が容易に伝わる位置にありました。

8世紀になると、新興宗教イスラムを奉ずるアラブ人の力が中央アジアにまで及び始めます。トルコ民族が中央アジアを後にしてまず南下、そして西への移動を始めたのはその頃です。彼らは西進につれて国力、軍事力をつけると共に、イスラム教を受け入れていきました。

そして、1071年には東アナトリア、ヴァン湖の北の平原マンズキルトの戦いでビザンチン帝国軍に大勝し、いよいよアナトリアに足を踏み入れたのです。

小アジアに花開いた織物、特に絨毯の結びの技法、モチーフや色彩はトルコ民族と共に中央アジアから近東やアナトリアヘ、つまりオクサス河のほとりからはるか西のボスフォラス海峡の岸辺へと伝えられたのです。セルジュクトルコ時代にはすでに、宮廷直営の絨毯工房もあったといいます。

トルコのキリムや絨毯は長い歴史を持つ

アジアとヨーロッパにまたがる今日のトルコ共和国のアジア側国土をアナトリアといいます。アジア大陸が西に向かって大きく突き出し、北は黒海、南はエーゲ海と地中海に囲まれた広大な半島です。

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その地理的特徴から推察できるように、アナトリアは古来から東西南北の交通交易の通過点として様々な文明が行き交う土地であり、そこに住み着き、文化を生み育てる人々がいました。

アナトリア高原の中央部、コンヤの町の南東にチャタルヒュユクという遺跡があります。世界最初の集落遺跡として知られるこの重要な遺跡には幾つもの層が重なり、大きな変化のない原始的な生活が数千年間も延々と続いたことを物語っています。

紀元前6000年代、新石器時代からの素朴な女神像や土器、石器、装飾品などが大量に出土していますが、最近の発掘では、様々な技法の織物が織られていたことも明らかになりました。これにより、機織りの起源がそれまで考えられていたよりも更に古いことが判明したのです。

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ごく最近の考古学的凋査によると、チグリス川の源流近く、南東アナトリアの中心都市ディヤルバクル近郊のチャイオニュでは、更に古いおよそ9000年前の布が発見されています。

布地は遺物として非常に残りにくいものですが、鹿の角を包んでいたこの亜麻布は、角から侵み出たカルシウムのおかげて腐食を免れ、長い歴史を経て保存されてきたものでした。

中央アナトリアのブルドゥルの南東に位置する後期新石器時代の遺跡、ハジラルでは、粘土で作った紡錘車(糸によりをかけるためのはずみ車)なども発見されています。こちらの発掘も完了にはまだ遠いですが、ハジラルの住民は当時からすでに農耕を知っていたことも判明しました。

また、紀元前2800年頃の銅石器時代の遺跡であるユルムクテペからは織機の台の一部が確認されましたし、地中海岸にある青銅器時代の遺跡のひとつ、ギョズルクレからは織機を支えていたらしい大きな石が発見されました。機は普通、木製なので完全な形で残されることは難しいとされますが、これらはアナトリアの機織りの歴史を解明する上で非常に重要な発見といえるでしょう。

アンカラの東およそ200kmに位置するアラジャフユックは青銅器時代の文化を伝える重要な遺跡として知られています。ここでは紀元前3000年から2000年頃の銀の糸巻き棒が発見されています。

その近くのハットゥシャシュ(今日のボアズキョイ)は紀元前1800年頃から1200年頃に栄えた大帝国ヒッタイトの都でした。その遺跡から宗教や法律、商取引に関する粘土板文書が大量に出土し解読されました。中には職人や芸人の給与について、あるいは繊維や生地の価格についてなどが記されたものもありました。

当時の織りの技法や素材、質や厚みの異なる様々な織物について今日、我々が知ることができるのも、これら楔形文字文書解読のおかげです。

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中央アナトリアのカイセリ近郊には、キュルテペの遺跡があります。紀元前1950年頃から1200年頃まで、つまりヒッタイト時代以前から、アナトリアと東の大国アッシリアとの交易都市として栄えた町カネシュでした。

ここで出土した文書から当時の活発な商工業の様子をうかがうことができます。例えばウシュル サという名の商人が、アッシリアの布地3クタヌを購入し、カネシュの倉庫に蓄えていたといいます。それぞれの産地の名をつけた特産ホームスパンの織物についての記述も興味を引きます。

アジェムフユックの遺跡からもアナトリアの織物の歴史を解明する上で興味深い遺物が発見されています。ここの第10層からは非常に保存状態の良い日干しレンガの住宅が何軒か発掘され、石造りの家具や事務を取った機織り部屋の跡も確認されました。

アンカラの南に位置するゴルディオンは、有名な黄金伝説などで知られるミダス王の国フリギアの都でした。ここではラグの一種スマクやジジムを輸出していたといいます。

フリギア王国が栄えたのは紀元前7世紀のことであり、そこからアナトリアにおけるラグの歴史を知ることができます。エスキシェヒルの片田舎に今も残るミダス王のモニュメント、その岩のファサードはラグと同じデザインで知られています。

織物の中でも特にキリムや絨毯に関するエピソードを歴史から拾ってみましょう。紀元前10世紀、エジプトの王女がイスラエルのソロモン王にシルクのキリムを贈ったといいます。暑い国エジプトでは絨毯は織られていませんでした。

紀元前8世紀のアッシリア帝国、ニネヴェの宮殿の壁画からはじゅうたんを敷いた大広間の様子が知られていますし、絨毯のボーダーと同じような細かい装飾を施した石扉の敷居も発見されています。

紀元後になると当然ながら資料も多くなります。5世紀当時、コンスタンチノープルを都としたビザンチン帝国にとって何よりも恐ろしい敵はトルコ民族の一派、フンのアティラ王でした。彼らはドナウ川を越えて怒濤のごとく、中央ヨーロッパに攻め寄せていました。

ビザンチン皇帝テオドシウスⅡ世の命令により、アティラの陣営を訪れたプリスクスはフン族の王を殺すという密かな目的は果たせなかったものの、そこで見聞したトルコ族の生活様式を詳しく報告しています。彼が会ったアティラ王の天幕にも、妻ヘラカのそれにも美しい絨毯が敷かれていたといいます。

歴史上、最も豪華な絨毯として知られるのは「コスローの春」と呼ばれた絨毯でしょう。7世紀前期、ササン朝ペルシャの都クテシフォンがアラブの手に落ちました。膨大な戦利品の中に「コスローの春」とペルシャ人が誇るみごとな大絨毯がありました。

コスローⅡ世を初めとするペルシャ宮廷の人々は大広間にその絨毯を敷きつめ、酒宴を楽しんだそうです。金糸銀糸、宝石をふんだんに使い、花の咲き乱れる春らんまんの庭園風景を織りこんだ、広大で絢爛豪華な敷物でした。

アラブ軍の司令官ウマルは処理に悩んだ末、この素晴らしい戦利品を細かく裁断して兵士たちに分配したといいます。この特別な絨毯をアラブ人はキトゥフと呼びました。キトゥフは“糸を摘み集めたもの”の意味です。金銀宝石をちりばめたということは、実際は絨毯というよりキリムだったと考えられます。

トルコではキリムはどこで購入できる?

グランドバザール
キリムや絨毯などの織物は、トルコきっての特産品であり、旅行のお土産としても大人気です。トルコには大小さまざまな専門店があります。イスタンブールの人気観光スポットでもある世界最大級の市場、グランドバザールにも、キリムや絨毯を取り扱うお店は数多くあります。ぜひ、お気に入りの一品を見つけて、トルコ旅行の素敵な思い出にしてください。
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