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トルコ旅行ガイド

イスタンブール、ブルーモスク


観先客にはブルーモスクとして知られる。スルタンはおかかえの建築家に金のミナレット(尖塔)を作るように命じたという。ところが老建築家は金のかわりに6本のミナレットを建ててしまうほど耳が遠かったらしい。トルコ語で金はアルトゥン(altın)で六はアルトゥ(altı)である。
ブルーモスク

観先客にはブルーモスクとして知られる。スルタンアフメットI世のモスクは1609年から1616年にかけて建てられた。 
第一次世界大戦の間、オスマン軍の一部はブルーモスクを兵舎として使っていた。床にあいた穴やすすけた.タイルをみると兵隊たちが何の遠慮もなくここを使っていた様子がうかがえる。最近までライトブルーの地の上の鮮やかな青色がオリジナルカラーと信じられてきたのだが、修復の過程であらたな塗りがみつかった。描かれた模様は同じものだが、白地にブルーがオリジナルであったらしい。 19世紀後半にも修復されたという記録も見つかっている。

スルタンはおかかえの建築家に金のミナレット(尖塔)を作るように命じたという。ところが老建築家は金のかわりに6本のミナレットを建ててしまうほど耳が遠かったらしい。トルコ語で金はアルトゥン(altın)で六はアルトゥ(altı)である。メッカのカーバモスクでさえ6本のミナレットしかもたないのだから。後にスルタンはメッカに7本めのミナレットを寄贈して大本山に敬意を表している。 
ブルーモスクの建築は注目に値する。もし、教会やシナゴークの礼拝の時に側廊や入口の近くに座を占めるならば、きっとだれでも中心から、祭壇から、他の人々からひとり孤立したような感じがするだろう。宗教建築の進歩は、信者がどこに立とうとも、物理的精神的に平等に、神の近くに感じられるような中央志向プランをうみ出してきた。 

建築要素としてのドームは、すでにアヤソフィアの数千年も前から知られてきた方法である。それまでの典型的なドーム付きバシリカ(長方形の聖堂)に比べ、中央ドームに二つの副ドームをつける方法は革新的であった。しかし副ドームを支えるための4本の巨大な柱はやはり目ざわりだった。このアヤソフィアの欠点は建築家シナンによって克服された。スレイマン大帝のモスクを建てるにあたって、シナンはこのじゃまな柱を東西の壁の中に埋めこんでしまうことに成功した。この工夫に加えて、北と南に三重のアーケードを作り、柱廊と支柱をとりのぞいてしまった。スレイマニエモスクには回廊部分がない。 

ブルーモスクはスレイマニエ・モスクに半世紀遅れたが最高のものといえよう。副ドームは大小4つあるが、相互に組み合わせたような形で1つのドームのようになっている。そしてその天井は信者の頭の上に大空のように青く広がる。どこに立とうが座ろうが、中心にいるような感じがする。 

私見になるが、バシリカはキリスト教の建築様式である。キリスト教は聖人、聖像、奇跡を重視する。バシリカ内部のそれぞれの位置はキリスト教における階級性を示す。外観の垂直な線や鋭い角度は、神と人間の関係の反映に他ならない。 
イスタンブールの他の古いモスクと同様に、ブルーモスクも外観は地味である。新旧を見分けるのは簡単である。15、16、17世紀の古いモスクは、豪華な内部と対照的に外側は簡素である。イスラムの教えを反映しているといえよう。後の時代のモスクはしだいにヨーロッパの影響を見せてくるようになる。 

隣接して絨毯の博物館が公開されているが、ブルーモスク自体りっぱな絨毯の博物館といってもさしつかえあるまい。
このモスクにはたった1枚だけ緑色の絨毯がある事に気付かれるだろう。緑色は「天国の色」でイスラムでは神聖な色とされていたから、当時は床絨毯として使われることはほとんどなかった。この縁色の絨毯は唯一の例外であり、エチオピア最後の王、ハイレセラシエから贈られたものである。タイルに興味のある方は、ブルーモスクのせまい回廊の壁を見てほしい。主に、ニケーアからの貴重なタイルコレクションが見られる。
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