トルコ旅行に行きたい・トルコツアーに参加したい・トルコ観光を満喫したいならターキッシュエア&トラベル | ハットゥシャ:ヒッタイトの首都

トルコ旅行ガイド

ハットゥシャ:ヒッタイトの首都


発見された文書によるとヒッタイト以前のB.C.3世紀、ハットゥシャにはハッティ等が居を構えていたとされるが、碑文の様な事実を語る記念物は何も残っていない。ハットゥシャの歴史はB.C.1900年にまで遡る。B.C.17世紀にはクッサーラの王がハットゥシャを首都に定め、ここをハットゥシャと呼ぶようになった。

ハットゥシャ (ボアズキョイ)
アンカラの東200kmにはヒッタイトの古都ハットゥシャの遺跡と岩の聖所ヤズルカヤがある。遺跡は1834年に旅行者によって発見され、1906~1907年の間にウィンクラー等の指導で発掘作業が実施されている。くさび形文字で刻まれた2500片の粘土板もこの調査の際に見付かったものである。ピッテル教授の指導の下、ドイツ考古学協会が1931年まで周辺の発掘に携わった。

〔歴史〕
発見された文書によるとヒッタイト以前のB.C.3世紀、ボアズキョイにはハッティ等が居を構えていたとされるが、碑文の様な事実を語る記念物は何も残っていない。ハットゥシャの歴史はB.C.1900年にまで遡る。B.C.17世紀にはクッサーラの王がボアズキョイを首都に定め、ここをハットゥシャと呼ぶようになった。ハットゥシリがヒッタイの初代皇帝となったのもこの頃と言われる。沈滞期を凌いた後、ヒッタイトはB.C.15世紀、トゥタリヤ2世の支配の下で再び頭角を現わし始め、大ヒッタイト帝国の基盤を固めたのである。ヤズルカヤの聖所はこの時代に造られている。ハットゥシャの黄金期はB.C.14世紀、シュピリリウマ1世の時代に到来する。ムワタッリ帝の治世下でハットゥシャはもはや首都ではなかったが、帝国の勢力は拡大し続け、エジプトと隣国となるまでに領土を拡げていった。戦略上の要地にあったカニシをめぐり二国間に起きた問題はヒッタイトのハットゥシリ3世とラムセス2世により条約締結を以って解決したが、これは人類の歴史で初めて異国間で交された約束事であるとされている。ヒッタイト最後の皇帝シュピリリウマ2世の時代、およそB.C.1200年頃、この大帝国は北からと海からの民族によって滅ぼされてしまう。約300年後のB.C.9世紀にハットゥシャに定住する様になったフリギア人は、出土品を見る限りB.C.6世紀頃滅びたと考えられる。

*主要観光地抜粋

〔大神殿〕
保存状態も良好なヒッタイト期を代表する建築物である。ハットゥシリ3世(B.C.13世紺の時代に天候の神に捧げられて建立され、42×64mの敷地は約70の倉庫が包囲している。図書館跡からは多くの粘土板片が見付かった。門の後方が「獅子の水盤」。

〔ブユックカレ〕(大城塞)
ハットゥシャの東にあるB.C.13世紀の城塞で、ヒッタイト帝国の末期までは皇帝達の住まいであった。ブユックカレの高台(250×140m)には階段を利用して上がる。
かつては長方形の塔がついた強靭な壁に包囲され、内部には祈りの間や会議室、図書室(この跡から実に多くのくさび形文字の碑文片が発見されている)、貯水場等、様々な目的の為の多くの施設が設けられていた。  

ハットゥシャ
〔ニシャンテぺ〕
ブユックカレから300m、上市中央の小丘(ニシャンテペ)の東壁にはシュピリリウマ3世の業績を記した碑文が残されている。

〔獅子の門〕(Aslanlı Kapı)
上市の最西にある門で、二頸の獅子はまるで敵を威嚇するかの様である。

〔イェルカプとスフィンクスの門〕
長さ70mのトンネルで市の最高地にある。かつてはここにスフィンクス像が置かれていた。

〔王の門〕(Kral Kapısı)
市の東門は施された浮き彫りからこの名で呼ばれている。王、あるいは神の戦いの様子をテーマにした浮き彫りの実物は現在アンカラのアナトリア文明博物館に保存されている。

ヤズルカヤ
ハットゥシヤの東3KⅢに位置するB.C.13世紀の岩の聖所である。ヒッタイト人が彼等の神に祈りを捧げたこの場所はもともと天然の岩の狭間を利用した屋根無しの祈祷場であり、後にその場には神殿が建立されている。

〔岩の聖所〕
岩に彫られた装飾の為の浮き彫りが見られる。66の構図から成る神々の行進では、右手に女神、左手には男神が表現され、頸を垂れる山の神の前に立つ天候の神テシュブと豹に跨るその妻へパトが向かい合う岩の中央で男女神達が出会うかたちがとられている。へパトの後方にはやはり豹に乗った息子シャッルマが見られる更に後方には双頭の鷲の翼に触れる双子の女神が表現されている他、二つの山に跨って立つトゥドゥハリヤ4世(B.C.13世紀)の姿や尖った帽子を被り剣を手にした12神、トゥドゥハリヤ4世を抱擁するシャッルマ神等を目にする事ができる。かつてハットゥシヤとヤズルカヤの間は行進用通路によって連結されていた。


アラジャホユック
ボアズキョイから30km北にはアナトリア最古の集落の一つであるアラジャホユックがある。ヒッタイトの移住経路解明におおいに役立った発掘調査は1932年まで掛けられ、この地に居住していたハッティ等に属する品々は最古の出土品として興味深い。1600~1200B.C.のヒッタイト帝国期にアラジャホユックが帝国の勢力下で影響を受けていた事は疑いなく、北部と海からの民に帝国が滅ぼされた後はアラジャホユックもその重要さを失っていった。恐らくB.C.9世紀にはこの地にフリギア人が定住していたと考えられている。発掘品として最も重要なものは王子の墓(B.C.4世紀)からの金や銀の器、武器、宝石、青銅や土で作られた動物の像等で、現在はアンカラのアナトリア文明博物館に保存されている。アラジャホユックにはかつて少なくとも2ケ所に門があったとされ、この内、壁のみが今に残る西門にはハットゥシャのイェルカプと多くの類似点が見出せる。正面を向いた対のスフィンクスが彫られた南の門は市の正門であった。だき柱には爪に兎をかけた対の鷺が彫られている他、玉座の女神、天候の神と王、女王、司祭、生にえの動物等の行進のレリーフも残っている。アンカラのアナトリア文明博物館に多くの出土品が展示されているので興味をもたれた方々には一見をお勧めする。
ページの先頭へ トップページへ