トルコのおすすめ観光名所BEST20!治安やベストシーズン・日数も紹介
イスタンブールの地下宮殿の正体は貯水池?!巨大なメデューサの頭は必見
イスタンブールの地下宮殿はビザンツ帝国時代の巨大貯水池
世界遺産に登録されているイスタンブール旧市街歴史地区には、地下貯水池が幾つか発見されていています。中でもアヤソフィアの西側、トラムの線路の反対側にはイスタンブールで最大かつ最も見事な貯水池「Yerebatan Sarayi(イェレバタン・サルヌチュ)」があります。トルコ語で「Yerebatan」は“地に沈んだ”、「Sarnic」は“地下貯水池”という意味です。水の中から突き出た無数の大理石の柱が宮殿のように見えることから「Yerebatan Sarayi(イェレバタン・サラユ)」=「地下宮殿」とも呼ばれています。
地下宮殿の地上入口から階段を降り一足中に踏み入れると、湿気と冷やりとした風が肌に触れ、薄暗中にライトアップされた柱が水面から何本も立つ姿は幻想的で正に別世界。中世にタイムスリップし冒険をしている様な気分になります!また、貯水槽内は現在でも水が溜まっており、その中には多くの魚が静かに泳いでいるのがより一層不思議な雰囲気を醸し出しています。
ここが公開されたのは最近の1987年からで、それまではほとんどの部分が数メートルに及ぶ泥に埋まっており、数年間の修復が終わりやっと公開されるようになりました。
イスタンブールではこの他にBİNBİRDİREK(ビンビルディレッキ・サルヌチュ)やŞEREFİYE SARNICI(シェレフィイェ・サルヌチュ)、HIPODROM SARNICI(ヒッポドローム・サルヌチュ)、SULTAN SARNICI(スルタン・サルヌチュ)などいくつもの地下貯水池がありますが、地下宮殿(イェレバタン)が現存する東ローマ帝国の貯水池として最大の物です。
地下宮殿の別名は「バシリカ・シスタン」
この地下宮殿はビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス1世(527-565)が、531年に起きたニカの乱を鎮圧後に7000人の労働者を使って作られたと言われています。「ビザンツ(ビザンチン)帝国」の基礎知識!千年の繁栄と歩みを徹底解説! | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
地下宮殿の周辺は元々フォルムと言う古代ローマ帝国時代の公共広場があり、地下宮殿がある場所はバシリカがありましたが、475年に火事で崩壊し、そのバシリカの上に作られたことから「バシリカ・シスタン」とも呼ばれています。
地下宮殿は古くからイスタンブールの水供給の役割を果たしていた
現エユップ地区にある375年にローマ皇帝ヴァレンス帝によって造られたヴァレンス水道橋(ボズドアン水道橋)を通じて、水をコンスタンティノープル市内へ送り貯水をする目的に地下宮殿は建設されました。イスタンブールの北・黒海に近いベルグラードの森とその周辺の水資源から水を引き、ヴァレンス水道橋を通りコンスタンティノープル市内に配水していたとのことです。
ビザンティン時代だけでなく、オスマン帝国時代もこの地下宮殿からトプカプ宮殿に水が引かれ宮殿の庭に水をもたらしていたとのことです。
トプカプ宮殿の見どころ徹底解説!宝物館やハレムはオスマン帝国の権力の証 | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
地下宮殿(イスタンブール)の場所・アクセス・営業時間・入場料
地下宮殿はイスタンブールの観光名所が数多くある旧市街スルタンアフメット地区に位置しています。Tramvay(トラム)のスルタンアフメット駅より徒歩2分。同じく世界遺産イスタンブール歴史地域を構成する見どころの一つである「アヤソフィア」のトラム線路を挟んで向かい側です。アヤソフィア大聖堂・2020年7月24日からは再びモスクに【世界遺産】 | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
名称 | 地下宮殿(YEREBATAN SARAYI:イェレバタン・サライ) |
住所 | Yerebatan C. Alemdar M. 1/3 34410 S.Ahmet/İSTANBUL, トルコ |
アクセス | Tramvay(トラム)のスルタンアフメット駅より徒歩2分 |
営業時間 | 9:00~17:30 |
定休日 | なし |
入場料 | 30 TL |
所要時間 | 30分 |
公式サイト | https://www.yerebatan.com/en |
地下宮殿は見学可能!内部の構造と見どころは?
地下宮殿の貯水槽は、140m×70mの長方形の巨大な構造で総面積9,800㎡、約100,000トン貯水可能なキャパシティーを持っています。
52段からなる石製の階段にて貯水池に下りた内部には、高さ9mの柱が、柱と柱各4.8mの間隔で28本×12列の形で336本建てられており、それぞれの柱が煉瓦造の交差ヴォールトの天井を支えています。
多種多様な無数の柱が生み出す壮大な雰囲気
柱に使用されている大理石のほとんどが地下宮殿よりも古い建築物から採取・利用されていることから色々な種類の大理石が用いられていることが分かり、また大部分の柱は一つの石から、一部分は二つの石から造られていることもわかります。柱の上部はそれぞれ違った特徴を持っており、98本はコリント様式、その他一部はドーリア様式が反映されています。柱自体はほとんどが円柱ですが、中には角がある物や溝が彫られている物もあります。
貯水槽の中部北東側の壁際にあった8本の柱は、1955~1960年の工事の際に崩壊の危機にあったため、暑い層のコンクリートで埋められてしまい、残念ながらこの部分は昔の姿を失っております。
天井部分は柱と柱の間をアーチでつないであり、レンガで組み込まれた4.8mの厚さの壁とレンガで舗装された床は、粉砕されたタイルが使用された舗装塗料を用いて水が沁みないように防水の工夫がされています。
私見ですが…地下貯水池はあくまでも貯水する場所なのに、なぜここまで凝った宮殿のような造りなのでしょうか。昔の人は地下帝国、地下世界を夢見ていたのでしょうか。それが不思議ですし大きな謎でもあります。
蛇の柱(嘆きの柱/涙の柱)
蛇の柱は、他の柱と違いなぜかこの一本のみ常に濡れていることから泣いていると比喩されて別名「嘆きの柱(涙の柱)」とも呼ばれています。この柱は、もともと“Forum Tauri(フォルム・タウリ)”というローマ時代の公共広場(現在のベヤズット広場の辺)にあった4世紀のテオドシウス1世の勝利のアーチ柱に似ており、また地下宮殿の建設中に亡くなった何百人もの奴隷を忍ぶために造られたとも言い伝えられております。
地下宮殿観光の目玉「メデューサの顔」
入口から一番奥に進むと現れるのが2つの柱の下にある一つは横向き、もう一つは逆さのメデューサ(メドゥーサ)の頭の石礎です。このメデューサの彫刻はローマ時代の傑作で、地下宮殿を訪れる人にとって一番の目玉となっています。
見た者を石に変えてしまう怪物「メドゥーサ(メデューサ)」|元々は絶世の美女だった!? | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
ギリシャ神話の中で、メデューサは地底世界の女怪獣であるゴルゴン3姉妹の一人であり、見た物を石に変えてしまう力があるといわれておりました。
この力を信じて当時の人々は大きな建物を建てる際、そこを守る為にゴルゴンの言い伝えと銅像を使用していたとのことで、地下宮殿にもゴルゴン怪物3姉妹の一人メデューサの頭の銅像が置かれたといわれております。
なぜ、逆さや横に置かれたかは明確にはわかっていません。
人間味満載な神々と英雄の『ギリシャ神話』基礎知識を徹底解説! | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
地下宮殿は映画「インフェルノ」や「007」の舞台にもなっている!
イスタンブールの地下宮殿が、あの有名なジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影場所としても使われたことをご存じの方も多いのではないでしょうか。また、ダン・ブラウン原作で映画化もされた「ダ・ヴィンチ・コード」の続編第三弾、2016年公開の『インフェルノ』ではイスタンブールが脇舞台となり、地下宮殿が重要な役割で出てきます。
どちらも非常に見ごたえのある名作ですので、まだ見てないという方は、ぜひ映画の中でも存在感のある地下宮殿をご覧ください。
地下宮殿の発見・発掘の歴史
地下宮殿はコンスタンティノープルの全市民に2週間以上水を供給できるといえるほど大きな地下貯水池で、「地下湖水」といってもよいほどだったとのことです。しかし、オスマン帝国がコンスタンティノープルを征服後、宮殿が移された後は閉鎖されていたため、約1世紀もの間誰もその存在に気がつかなかったと言います。1545年スレイマン大帝の時代にこの町を訪れたフランス人探検家が、木造民家の床に穴がありその穴から水を汲み出して利用していたり、魚を釣っていたりするのを見て不思議に思い調べたところ、大きな地下貯水池が再び世に出たと言うのですから驚きです!
その後も、数百年間一部のみの発見でどのくらいの広さかはわかっておりませんでした。第一次世界大戦の頃、ドイツ人潜水士が折りたたみ式のボートを地下宮殿内に降ろし入れて考古学者によって調査が行われ、実際の大きさが判明しました。尚その後は、地下宮殿の上にある家の住人に料金を払うことにより、ここにボートを入れることが可能になったとのことです。
オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
地下貯水池を改造した「SARNIÇ Restaurant(サルヌチュ・レストラン)」
有名な地下貯水池の他にもイスタンブールには至る所に地下貯水池があります。現在その地下貯水池の上にお店やカフェがあり、お店の中から一部公開している所も有れば、地下貯水池をそのまま改装してお店やレストランにしている所もあります。
アヤソフィアのすぐ裏の道にある「SARNIÇ Restaurant(サルヌチュ・レストラン)」は、1500年もの歴史のあるビザンツ時代の地下貯水池をそのままレストラン使用に改装しており、遺跡の中で食事ができると言う何とも雰囲気抜群なレストランです。
旧市街を観光の際、お食事にぜひ訪れてみてください。料理はアナトリア・トルコ料理・オスマン宮廷料理がメインです。
世界三大料理は、なぜフランス料理・中華料理・トルコ料理なの?歴史と特徴を解説 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
名称 | SARNIÇ Restaurant(サルヌチュ・レストラン) |
住所 |
Cankurtaran, Soğuk Çeşme S. No:26, 34122 Fatih/İstanbul
|
公式サイト | http://www.sarnicrestaurant.com/ |
地下宮殿だけじゃない!コンスタンティノープルに水を届け続けた3つの地下貯水池
水資源に乏しかったコンスタンティノープル(イスタンブールの前身)に水を配給する為、主に地下宮殿(イェレバタン・サライ)、ビンビルディレッキ・サルヌチュ、シェレフィイェ・サルヌチュの3つの地下貯水池が使われていました。上記では地下宮殿に関して十分に解説しましたので、ここからはビンビルディレッキとシェレフィイェについて、少しご紹介いたします。
世界の中心「コンスタンティノープル」ビザンツ帝国の首都を徹底解説! | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
BİNBİRDİREK SARNICI (ビンビルディレッキ・サルヌチュ)
地下宮殿よりも古い4世紀のコンスタンティヌス帝の時代に造られ地下宮殿の次に大きな地下貯水池ですが、現在はイベントやコンサート会場としてのみ使用されていて一般公開はされておりません。テオドシウスの地下貯水池|ŞEREFİYE SARNICI (シェレフィイェ・サルヌチュ)
こちらは、それよりもまた古い428~443年に東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世により作られたので、別名「THEODOSIUS SARNICI(テオドシウス・サルヌチュ)」=「テオドシウスの地下貯水池」とも呼ばれています。
現エユップ地区にある375年にローマ皇帝ヴァレンス帝によって造られたヴァレンス水道橋(ボズドアン水道橋)を通じて水をコンスタンティノープル市内へ送りる貯水を目的に建設されました。
イスタンブールの北・黒海に近いベルグラードの森とその周辺の水資源から水を引き、ヴァレンス水道橋を通り市内の「ニンファエウム(現ベヤズット広場、古代ギリシャ・ローマで泉の神ニンフを祭る泉)」、「ゼウククシッポス浴場(現ブルーモスク正門前辺り、コンスタンティノープル最大の公共浴場)」、「大宮殿(現ブルーモスクの敷地全般)」に配水していました。
大きさとしてはビンビルディレッキより小規模ですが、約1600年の歴史を持っている地下貯水池です。こちらは、2018年4月より一般公開され入場可能になりました。入口は近代的で中はギャラリーや展示会場としても使用されています。まだまだ知られていない穴場ですのでイスタンブール観光でお時間がありましたら是非足を運んでみてください。
イスタンブール観光全解説!絶対に行きたいおすすめスポット30選 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
名称 | テオドシウスの地下貯水池(Şerefiye Sarnici: シェレフィイェ・サルヌチュ) |
住所 | Binbirdirek M. Piyer Loti C. No:2/1 34122 Fatih/İstanbul |
アクセス | 旧市街スルタンアフメット地区。Tramvay(トラム)のスルタンアフメット駅より徒歩5分。 |
営業時間 | 9:00~18:00 |
定休日 | なし |
入場料 | 20 TL |
所要時間 | 5分 |
服装 | 特記無し |
写真撮影 | 可能 |
公式サイト | https://www.serefiyesarnici.istanbul/en |
イスタンブールツアー一覧