トルコ出身・トルコで活躍!古代世界の知識人達
ヘラクレイトスとは?「万物は流転する」と説いた哲学者の生涯と思想
ヘラクレイトス(紀元前535~475年頃)は、古代アナトリア(現在のトルコ)のエーゲ海沿岸の都市エフェス(エフェソス)出身の人物で、ソクラテス以前の最も重要な哲学者の一人といわれています。ヘラクレイトスの著作は失われてしまっており、他の学者が引用した断片がいくつか残るのみですが、先人を批判する形で提唱された思想は後世に大きな影響を与えました。
ヘラクレイトスは、世界の法則を形成する普遍的な原理である「ロゴス」という概念を提唱し、その本質的物質が「火」であると主張しました。これは、文字通りの「火」そのものを意味するのではなく、絶え間なく変化することで世界の秩序が保たれている=「万物は流転する(パンタ・レイ)」という思想から、火に象徴される変化と対立が万物の根源だと考えたのです。
こうした「対立から物事の概念的本質を見い出す」という思想からヘラクレイトスは弁証法の創始者とされ、ヘーゲルやエンゲルスらも評価しています。
ヘラクレイトスは難解な言い回しを多用し、陰気で憂鬱な性格だったため、「笑う哲学者」と呼ばれた快活なデモクリトスに対して、「泣く哲学者」とも称されます。
ヘラクレイトスは、小アジア(現在のトルコ)エーゲ海沿岸の大都市エフェスにて紀元前540年頃に王または司祭の家系の父ブロソンの息子として生まれました。ヘラクレイトスは子供の頃から並外れた人物でした。 若い頃彼は何も知らない無知だと主張し、自分自身を勉強していると述べ、「私は自分自身を探求した」「魂には終わりがない」と言ったとされます。
エフェスの貴族階級に生まれたヘラクレイトスは、貴族制の立場をとります。しかし、同年代の民衆とは反対であることを見て、そのコミュニティ・社会生活から退きます。それは、ヘラクレイトスが当時の政治情勢が気に入らなかったこと、そしてその状況を厳しい言葉で批判したことからも理解できます。
ヘラクレイトスは、友人のへルモドロスを追放したエフェス市民に向かって「エフェス人の大人全員首を吊ってこの都市を子供たちに任せたならばもっと良い」「私達より価値のある人などいないはずだ。もしそのような人がいるなら、他の場所で他の者たちの中に行かせてそこで生きさせろ!」と言ったそうです。
エフェス市民は、ヘラクレイトスに法の制定を要望しますが、既にエフェスは悪法によって支配されていたためこの要望を拒否します。そして彼は、「何も残すな金持ちのエフェス人達、そしてあなた達の卑劣さを明確にさせろ」と富を得た新階級を嫌悪しました。彼は人々を嫌悪し、人里離れた所で生活をしていたと言います。
ヘラクレイトスは誇り高く、彼以前の学者、哲学者、詩人をも卑下し、市民のことを“大衆、思慮の無い奴ら”と見なし、それには市民の伝統的な信仰への軽蔑も含まれていました。宗教においては、クセノパネスが行った土着宗教理解に対する批判的な態度をヘラクレイトスも続けていたことがわかります。
ヘラクレイトスは、哲学者の元で生徒になったことはありませんでしたが、クセノパネスの講義を聞いていたとも言われています。また、ヘラクレイトスは、ミレトスの哲学者達からも影響を受けたと考えられます。一方で、ヘラクレイトスはミレトス学派とは直接の交流はなく、その思想体系は同時代の他グループから独立しており、本人も独学であることをほのめかしています。
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彼は、生成と変化という彼の主教義において、アナクシマンドロスとピタゴラスの影響を受けていた可能性があります。彼はまた、精神的な教えにおいてアナクシメネスの影響を受けました。そして、世界は絶えず変化し続ける、即ち万物は流転していると考え、火を象徴とした変化と闘争を万物の根源としました。
ヘラクレイトスは「万有について」「政治について」「神学について」の3部からなる『自然について』という著書を書き、エフェソスのアルテミス神殿に寄託したといわれています。
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著作『自然について』は、ことわざを彷彿とさせる表現で構成された詩的な散文です。大衆を軽蔑する言葉遣いで自分を表現しており、 幅広い大衆に理解されたい人の言葉で語られていません。
謎々のような言葉は、ヘラクレイトスを理解できる選ばれた者・エリートだけに話しかけたいという彼の願望の表れととれ、このような難解で箴言めいた表現から、ヘラクレイトスは「暗い哲学者」「闇の人」と呼ばれてきました。
このように一癖も二癖もあるヘラクレイトスですが、イオニア学派において最後で最高の哲学者であり、西洋哲学の歴史の中でダイナミックな哲学システムを提唱した最初の人物です。ハイデガーやショーペンハウアーやニーチェなど後世の哲学者にも多くの影響を残しています。
また、ヘラクレイトスが批判した同じイオニア地方のクセノパネスは、万物の根源を「土」だと考えました。
一方、ヘラクレイトス自身は、こうした先人の思想を否定し、世界の秩序を保つ普遍的原理として「ロゴス」という概念を提唱し、それは「火」であると主張しました。ヘラクレイトスの言う「ロゴス(ギリシャ語で“言葉”の意)」は物質というより思考であり、それは感覚ではなく理性によって理解されるとしています。
ヘラクレイトスは、世界を「永遠に燃え続ける火」に例え、それは「絶え間なく燃え上がり、消えていく」と表現し、「すべては流れ、何も止まってはいない」「われわれは同じ川(流れ)に二度入ることはできない」と言っています。
さらに世界は、火に象徴される法則的な要素の変化・交換・対立によって、そのバランスを保っていると主張しました。ヘラクレイトスは、「宇宙の法則によって、昼が夜を生むように、冬も夏も、戦争も平和も、豊かさも飢餓も。万物は変化する」「世界の調和は、弓と竪琴のような反対の張力によって成り立っている」と表現しています。
世界は特定の物質によって規定されるのではなく、こうした法則にしたがった継続的なプロセスだと考えたのです。また、この法則(ロゴス)は、自然のみならず人間の営みにも敷衍されます。
「世界は絶え間なく変化し、万物は永遠の対立と調和のもとに成り立っている」というヘラクレイトスの理念を真っ向から否定したのが、エレア派の哲学者パルメニデス(紀元前520~450年頃)です。ヘラクレイトスと同じように難解かつ詩的な表現で知られるパルメニデスは、ヘラクレイトスの提唱する「変化」は誤った観察に基づく幻想であり、すべては統一的で不動不変の存在であると主張しました。
さらに、ヘラクレイトスの思想は、ゼノンをはじめとするストア派の哲学者など後世に大きな影響を与え、プラトンの対話篇やアリストテレスの著作でも、その難解な断片がたびたび引用されています。経験的世界と自然界を統合的に観察したヘラクレイトスは、ソクラテス以前の最も優れた哲学者の一人として現代でも名を残しているのです。
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エフェソスは、古代ギリシャ~古代ローマ時代にアナトリア(小アジア)のエーゲ海沿岸にあった大都市です。ローマ帝国時代には貿易の要衝として繁栄し、初期キリスト教の発展にも重要な役割を果たしました。
世界三大図書館の一つであるケルスス図書館や、世界七不思議の一つに数えられるアルテミス神殿、聖母マリアが晩年に過ごしたとされる家などが良好な保存状態で残っており、当時の文化や歴史を肌で感じられる遺跡を見学できます。2015年にはユネスコ世界遺産に登録され、トルコの必見観光スポットの一つとして多くの観光客が訪れています。
エフェソス遺跡の見どころ46選
ヘラクレイトスは、世界の法則を形成する普遍的な原理である「ロゴス」という概念を提唱し、その本質的物質が「火」であると主張しました。これは、文字通りの「火」そのものを意味するのではなく、絶え間なく変化することで世界の秩序が保たれている=「万物は流転する(パンタ・レイ)」という思想から、火に象徴される変化と対立が万物の根源だと考えたのです。
こうした「対立から物事の概念的本質を見い出す」という思想からヘラクレイトスは弁証法の創始者とされ、ヘーゲルやエンゲルスらも評価しています。
ヘラクレイトスは難解な言い回しを多用し、陰気で憂鬱な性格だったため、「笑う哲学者」と呼ばれた快活なデモクリトスに対して、「泣く哲学者」とも称されます。
目次
エフェスの哲学者ヘラクレイトスの生涯
ヘラクレイトスは、小アジア(現在のトルコ)エーゲ海沿岸の大都市エフェスにて紀元前540年頃に王または司祭の家系の父ブロソンの息子として生まれました。ヘラクレイトスは子供の頃から並外れた人物でした。 若い頃彼は何も知らない無知だと主張し、自分自身を勉強していると述べ、「私は自分自身を探求した」「魂には終わりがない」と言ったとされます。
エフェスの貴族階級に生まれたヘラクレイトスは、貴族制の立場をとります。しかし、同年代の民衆とは反対であることを見て、そのコミュニティ・社会生活から退きます。それは、ヘラクレイトスが当時の政治情勢が気に入らなかったこと、そしてその状況を厳しい言葉で批判したことからも理解できます。
ヘラクレイトスは、友人のへルモドロスを追放したエフェス市民に向かって「エフェス人の大人全員首を吊ってこの都市を子供たちに任せたならばもっと良い」「私達より価値のある人などいないはずだ。もしそのような人がいるなら、他の場所で他の者たちの中に行かせてそこで生きさせろ!」と言ったそうです。
エフェス市民は、ヘラクレイトスに法の制定を要望しますが、既にエフェスは悪法によって支配されていたためこの要望を拒否します。そして彼は、「何も残すな金持ちのエフェス人達、そしてあなた達の卑劣さを明確にさせろ」と富を得た新階級を嫌悪しました。彼は人々を嫌悪し、人里離れた所で生活をしていたと言います。
ヘラクレイトスの死因は?
ヘラクレイトスは紀元前475年頃、60歳のときに水疱を患いますが、自分で治療を試みて全身に肥料をぬり、そのまま野山に行き野犬に噛み殺されて命を落としたとされます。糞尿の発する熱によって水腫の蒸発を期待したそうですが、これは後世の作り話ともいわれています。ヘラクレイトスはどんな人物だった?
ヘラクレイトスは誇り高く、彼以前の学者、哲学者、詩人をも卑下し、市民のことを“大衆、思慮の無い奴ら”と見なし、それには市民の伝統的な信仰への軽蔑も含まれていました。宗教においては、クセノパネスが行った土着宗教理解に対する批判的な態度をヘラクレイトスも続けていたことがわかります。
ヘラクレイトスは、哲学者の元で生徒になったことはありませんでしたが、クセノパネスの講義を聞いていたとも言われています。また、ヘラクレイトスは、ミレトスの哲学者達からも影響を受けたと考えられます。一方で、ヘラクレイトスはミレトス学派とは直接の交流はなく、その思想体系は同時代の他グループから独立しており、本人も独学であることをほのめかしています。
ミレトス遺跡|ミレトス学派を生んだ政治・文化の中心都市
彼は、生成と変化という彼の主教義において、アナクシマンドロスとピタゴラスの影響を受けていた可能性があります。彼はまた、精神的な教えにおいてアナクシメネスの影響を受けました。そして、世界は絶えず変化し続ける、即ち万物は流転していると考え、火を象徴とした変化と闘争を万物の根源としました。
ヘラクレイトスは「万有について」「政治について」「神学について」の3部からなる『自然について』という著書を書き、エフェソスのアルテミス神殿に寄託したといわれています。
【世界七不思議】アルテミス神殿の謎とは?エフェソス屈指の見どころを解説
著作『自然について』は、ことわざを彷彿とさせる表現で構成された詩的な散文です。大衆を軽蔑する言葉遣いで自分を表現しており、 幅広い大衆に理解されたい人の言葉で語られていません。
謎々のような言葉は、ヘラクレイトスを理解できる選ばれた者・エリートだけに話しかけたいという彼の願望の表れととれ、このような難解で箴言めいた表現から、ヘラクレイトスは「暗い哲学者」「闇の人」と呼ばれてきました。
このように一癖も二癖もあるヘラクレイトスですが、イオニア学派において最後で最高の哲学者であり、西洋哲学の歴史の中でダイナミックな哲学システムを提唱した最初の人物です。ハイデガーやショーペンハウアーやニーチェなど後世の哲学者にも多くの影響を残しています。
ヘラクレイトスの思想の特徴
世界の根源的原理・法則「ロゴス」の提唱
エフェソスの近郊で、ヘラクレイトスより少し前の時代を生きたミレトス学派の哲学者は、世界を形作る第一原因を探究しました。この世界の根源的原理(アルケー)について、ミレトス学派の創始者であるタレスは「水」、その弟子のアナクシマンドロスは「無限(アペイロン)」、アナクシメネスは「空気」だと主張しました。また、ヘラクレイトスが批判した同じイオニア地方のクセノパネスは、万物の根源を「土」だと考えました。
一方、ヘラクレイトス自身は、こうした先人の思想を否定し、世界の秩序を保つ普遍的原理として「ロゴス」という概念を提唱し、それは「火」であると主張しました。ヘラクレイトスの言う「ロゴス(ギリシャ語で“言葉”の意)」は物質というより思考であり、それは感覚ではなく理性によって理解されるとしています。
万物は流転する(パンタ・レイ)
ヘラクレイトスが世界の根源的原理(ロゴス)を「火」だとしたのは、「万物は流転する(パンタ・レイ)」という思想が背景にあります。ここでいう「火」は文字通りの燃え盛る物質を意味するのではなく、世界の秩序を保つ、絶え間ない変化と要素の対立がもたらす均衡を象徴するものです。ヘラクレイトスは、世界を「永遠に燃え続ける火」に例え、それは「絶え間なく燃え上がり、消えていく」と表現し、「すべては流れ、何も止まってはいない」「われわれは同じ川(流れ)に二度入ることはできない」と言っています。
さらに世界は、火に象徴される法則的な要素の変化・交換・対立によって、そのバランスを保っていると主張しました。ヘラクレイトスは、「宇宙の法則によって、昼が夜を生むように、冬も夏も、戦争も平和も、豊かさも飢餓も。万物は変化する」「世界の調和は、弓と竪琴のような反対の張力によって成り立っている」と表現しています。
世界は特定の物質によって規定されるのではなく、こうした法則にしたがった継続的なプロセスだと考えたのです。また、この法則(ロゴス)は、自然のみならず人間の営みにも敷衍されます。
ヘラクレイトスの思想が与えた後世への影響
「世界は絶え間なく変化し、万物は永遠の対立と調和のもとに成り立っている」というヘラクレイトスの理念を真っ向から否定したのが、エレア派の哲学者パルメニデス(紀元前520~450年頃)です。ヘラクレイトスと同じように難解かつ詩的な表現で知られるパルメニデスは、ヘラクレイトスの提唱する「変化」は誤った観察に基づく幻想であり、すべては統一的で不動不変の存在であると主張しました。
さらに、ヘラクレイトスの思想は、ゼノンをはじめとするストア派の哲学者など後世に大きな影響を与え、プラトンの対話篇やアリストテレスの著作でも、その難解な断片がたびたび引用されています。経験的世界と自然界を統合的に観察したヘラクレイトスは、ソクラテス以前の最も優れた哲学者の一人として現代でも名を残しているのです。
アリストテレスは何した人?功績や思想・考え方をわかりやすく解説
ヘラクレイトスの名言
- 「人はそれ(ロゴス)を聞く前にも、初めて聞くときにも、常にそれを理解することができない」
- 「対立の中に一致があり、不同の間に最も美しい調和がある」
- 「怒りと戦うよりも、快楽と戦うほうが難しい」
- 「知恵を愛する人は実に多くのことを知っていなければならない」
- 「期待しない者は、予期せぬことを発見できない、それは無軌道で未踏の地だからだ」
- 「この宇宙は、万物に共通するもので、神や人が作ったものではなく、これまでも、現在も、そしてこれからも、規則正しい手段で自らを燃やし、規則正しい手段で消えていく常在の火である」
ヘラクレイトスが生まれたエフェス(エフェソス)とは?
エフェソスは、古代ギリシャ~古代ローマ時代にアナトリア(小アジア)のエーゲ海沿岸にあった大都市です。ローマ帝国時代には貿易の要衝として繁栄し、初期キリスト教の発展にも重要な役割を果たしました。
世界三大図書館の一つであるケルスス図書館や、世界七不思議の一つに数えられるアルテミス神殿、聖母マリアが晩年に過ごしたとされる家などが良好な保存状態で残っており、当時の文化や歴史を肌で感じられる遺跡を見学できます。2015年にはユネスコ世界遺産に登録され、トルコの必見観光スポットの一つとして多くの観光客が訪れています。
エフェソス遺跡の見どころ46選