トルコ出身・トルコで活躍!古代世界の知識人達
自然哲学者のヘラクレイトス(土:Heraklitos、英:Hērakleitos)
エフェスのヘラクレイトス


エーゲ海沿岸の大都市エフェスにて紀元前540年頃に王または司祭の家系の父ブロソンの息子として生まれました。ヘラクレイトスは子供の頃から並外れた人物でした。 若い頃彼は何も知らない無知だと主張し、自分自身を勉強していると述べ、「私は自分自身を探求した」「魂には終わりがない」と言ったと言います。
エフェスの貴族階級に生まれたヘラクレイトスは、貴族性の立場をとります。しかし、同年代の民衆とは反対であることを見て、そのコミュニティ・社会生活から退きます。
それは、ヘラクレイトスが当時の政治情勢が気に入らなかったこと、そしてこの状況を厳しい言葉で批判したことからも理解できます。 それは政治情勢だけでなく、自身の市民も批判します。
市民が彼の友人へルモドロスを追放したので、彼はエフェス人に言います:「エフェス人の大人全員首を吊ってこの都市を子供たちに任せたならばもっと良い」「私達より価値のある人などいないはずだ。もしそのような人がいるなら、他の場所で他の者たちの中に行かせてそこで生きさせろ!」と言い、その中でも一番価値のある者であるへルモドロスを亡命させたと言います。
エフェス市民は、ヘラクレイトスに法の制定を要望しますが、既にエフェスは悪法によって支配されていたためこの要望を拒否します。そして彼は、「何も残すな金持ちのエフェス人達、そしてあなた達の卑劣さを明確にさせろ」と富を得た新階級を嫌悪しました。彼は人々を嫌悪し、人里離れた所で生活をしていたと言います。
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彼は誇り高く、彼以前の学者、哲学者、詩人をも卑下し、また彼は市民の事を“大衆、思慮の無い奴ら”と見なし、それには市民の伝統的な信仰への軽蔑も含まれていました。宗教においては、クセノパネスが行った土着宗教理解に対する批判的な態度をヘラクレイトスも続けていたことがわかります。
ヘラクレイトスは、哲学者の元で生徒になったことはありませんでしたが、クセノパネスの講義を聞いていたとも言われています。ヘラクレイトスは、ミレトスの哲学者達からも影響を受けました。
彼は、生成と変化という彼の主教義において、アナクシマンドロスとピタゴラスの影響を受けていたことがわかります。彼はまた、精神的な教えにおいてアナクシメネスの影響を受けました。そして彼は、世界は絶えず変化し続ける、即ち万物は流転していると考え火を象徴とした変化と闘争を万物の根源としました。
「われわれは同じ流れに二度入ることはできない」と万物流転について比喩をしています。
ヘラクレイトスは「万有について」「政治について」「神学について」の3部からなる『自然について』という著書を書きました。この作品は、ことわざを彷彿とさせる表現で構成された詩的な散文です。大衆を軽蔑する言葉遣いで自分を表現しており、 幅広い大衆に理解されたい人の言葉で語られていません。
彼の謎々のような言葉は、彼を理解できる選ばれた者・エリートだけに話しかけたいという彼の願望の表れととれ、この様な難解で箴言めいた表現から彼は「暗い哲学者」「闇の人」と呼ばれてきました。
この様な彼ですが、イオニア学派において最後で最高の哲学者であり、西洋哲学の歴史の中でダイナミックな哲学システムを提唱した最初の人物です。ハイデガーやショーペンハウアーやニーチェなど後世の哲学者にも多くの影響を残しております。
ヘラクレイトスは、水疱を患い自分で治療を試みて全身に肥料をぬり、そのまま野山に行き野犬に噛み殺されて命を落としたといいますが、後世の作り話とも言われています。