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*以下カッパドキア旅行・カッパドキアツアー・カッパドキア観光スポットをご紹介いたします。

太古の昔、ここから約50km南のエルジャス火山(3,916m)が大噴火した。辺り一面に堆積した火山灰や溶岩は長い年月とともに雪や雨、風や太陽の自然の作用で侵食され、ピラミッド形の何とも奇怪な岩層を形成した。この世のものと思われないカッパドキアの美しさと不思議さは言葉で言い尽くし難い。土地の人々が「妖精の煙突」と呼ぶ、帽子を被った様な円錐形の岩層をはじめとし、長い間に固まって強化された火山灰に小川の流れがまるで偉大な彫刻家の様にのみを入れ、様々な容貌を見せる岩層があちらこちらにきつ立している。
風景と地形もさることながら、カッパドキアの歴史も興味深いものがある。岩壁や堆積岩を彫って造られた教会や住居は、7~13世紀にアラブ人が侵略を始めるまでは、もともと小アジアの熱心なキリスト教徒等が地下に潜って信仰を護る為の安全地帯であった。追放された身柄で避難所の必要だった聖パウロも友人とともにここで最初のキリスト教徒の集落をつくり、その発展に努めている。

カッパドキアツアー一覧


カッパドキア旅行・観光の案内ビデオ

詳しくは右側のカッパドキア旅行・観光の案内ビデオをご覧になってください。 → → →
 
2分31秒

ギョレメ観光
キリスト教徒がカッパドキアに居を定める様になるとカイセリの聖バスィルはギョレメ谷に最初の修道院を設けて教義の普及に努めた。修道士や住民は岩を掘って教会や住まいとし、かつてのギョレメは宗教の下に結集した生活共同体として重要性も大であった。しかし人々がここを去ってから既に長い年月が経っている現在は、屋外博物館として観光客の注目を浴びる地区となっている。

カッパドキア

〔尼僧院〕
一階には倉庫、厨房、居間が置かれ、11世紀に設立された教会が三階にある。空いたスペースは避難所として使用されていた。向かいには僧院が見られた。

〔エルマル・キリセ〕(林檎の教会)
11世紀。この辺りでは最も新しく、かつ最小の教会で、十字形基礎の上に建設されている。ドームは4本の柱に支えられ、大天使、エルサレムヘの旅、最後の晩餐、十字架のキリスト、埋葬等の様子を描いたフレスコ画が見られる。

〔聖バルバラ教会〕(11世紀)
エルマル・キリセ同様、岩の固まりを掘って造られた小規模の教会である。聖テオドール、聖ジョージと龍、エジプトヘの逃亡等をテーマにしたフレスコ画が残っており、赤を基調とした簡素な模様は偶像破壊主義期のものである。

〔ユランル・キリセ〕(蛇の教会)
11世紀。丸天井の身廊が長く続く。キリストと教会の設立者が描かれている他、右手の壁には聖バスィルと聖トマスが見られる。隠者聖オノウフリオスは腰部を腰布で覆っており、伝説によると彼はもともと女性であったと言う。左手の壁には十字架を手にするコンスタンチヌス大帝と母ヘレナ、又、この教会の名の源となった蛇と格闘する聖テオドールが描かれている。

〔カランルク・キリセ〕(暗闇の教会) 
この地方で最も保存状態の良いこの教会は、ビザンチン美術を代表する11世紀の作である。小さな入り口からのみの採光で室内は暗く、これがフレスコ画の色彩を鮮明なものに留めておけた要因となったのである。イエスの昇天、最後の晩餐、キリストの変容等をテーマにした図柄はこの事を示す最も良い例であろう。

〔チャルクル・キリセ〕(サンダルの教会)
十字架形の基礎の上に建ち、2本の柱と2つの控え壁で仕切られている。教会の名は床に残る足跡に由来し、フレスコ画の主題はエルマル教会や、カランルク教会等とほぼ同様である。

〔トカル・キリセ〕(留め具の教会)
アブジュラルへの幹線道路上右手、駐車場から約100mの所にある。カッパドキアで最大の岩窟寺院で、そのフレスコ画を以って周辺で最も重要な教会と言える。教会の名は、かつて天井から下がっていた留め具に因り、現在留め具は無いもののそれが下がっていた場所は確認できる。長い入り口から丸天井の身廊に出ると東隅にアーチで繋がった4本の柱が見られる。柱の奥には一段高くなった廊下が続き、大1つ、小2つの後陣が設けられている。フレスコ画の主題は他の教会のものと同様と言えるが、殉教者で主教、かつ修道僧であった聖バスィルの最期の様子を描いた壁画が見られる。

カッパドキア・ギョレメ

チャブシン観光 ギョレメ~アバノス間の道の右手にあるこの村は岩山の斜面が崩れた後に新しく作られたもので、半ば崩れた状態の旧チャブシンには洗礼者聖ヨハネの教会が残っている。地方で最も古い8世紀の教会で、丸天井の身廊と3つの後陣が設けられている。フレスコ画の主題は新約聖書から採用されたものである。

ゼルヴェ観光
カッパドキアの自然環境は、数百万年前の火山の噴火によってできたものである。活火山の中でも、エルジェス山(Erciyes Dağ 3917 m )は今もカッパドキアの景観を支配している。ガス雲、火山灰、熔岩が谷や平原をおおい、気候の変化、雨、風などによって、ごつごつした大地、固い岩石などこの土地特有の、自然の威力による風景がうまれた。
 カッパドキアの中でも、ゼルヴェはとりわけ、風変わりなところである。幾つもの峡谷が一点に集中し、自然の円形闘技場のようにみえる。峡谷の斜面には聖堂や大小の住居が蜂の巣のように集まり、ここがかつてこの地域でも最大級の生活共同体であったことが推測できる。少なくとも、30年前までここに人が住んでいた。岩がもろくなってこれ以上の人口を支えきれなくなったので、危険を避けるために人々はイェニゼルヴェ(新ゼルヴェ)という村に移ったのである。
 ゼルヴェの教会は、時の流れと気候条件、そして人間達によってしだいに損なわれ、今は多くは残されていないが、悪条件の下でも初期の壁画がいくつか残っていることは注目に値する。
 建築学上、初期の特色といえるのは岩の天井部分に彫られた巨大な十字架である。今もウズムルキリセ(Üzümlü Kilise)やゲイクリ・キリセ(Geyikli Kilise)など、幾つかの教会にみられる。カッパドキアの住民は、十字架に対して受難にうちかつものとしての特別な畏敬の念をいだいていた。十字架ヘの人気をみると、偶像禁止論争以前からすでに、肖像画には反対だったのではないかと思われる。

パシャバゥ観光
ゼルベ近郊には修道僧の谷と呼ばれるパシャバゥの葡萄畑が広がっている。1本1本離れた、又は固まりの上部だけが分裂した岩をほって修道僧たちが隠れ家とした事からこの名がついた。

アバノス観光
古代の町ヴェナサ(Venasa)では、鷲は天の神ゼウスの化身として非常に崇拝されていたが、このヴェナサが今のアヴァノスである。アヴァノスは、クズルウルマク川の岸辺に位置している。この川はトルコ語で赤い川という意味でトルコで最も長い川である(1355km)。古代においてはハリス(Halys)として知られ、ヒッタイトはマラサンティア(Marassantiya)とよんでいた。
先史時代から現代トルコまで、農業地帯の多くがこの川の恩恵を受けてきた。じゅうたん織り、ぶどう栽培、窯業はアヴァノスの三大産業である。

カッパドキア

ウルギュップ
かつて多くの人々の住居として生活の中心となった険しい岩山の麓に広がる。上部の住まいは既に人が去り、現在は下の逸れ等だけが納屋として使われている。10世紀の記録を見るとウルギュップには中世の司教区が置かれていた事がわかる。ウルギュップ~オルタヒサールには様々の形をした岩層が見られ、旅行者や写真家達にはたまらない魅力であろう。

オルタヒサール観光
やはり同様に岩山の麓に位置する村で、かつては岩にほられた穴を住まいにして人々が生活を営んでいた。近郊には十字形ドームのあるものをはじめ幾つかの教会が見られる。

ウチヒサール観光
鳩の穴、又は鳩の家はカッパドキア特有のものである。昔からのものもあれば、つい最近作られたものもある。栄養たっぷりの鳩の糞を集めるのが目的である。たくさんの鳩小屋がウチヒサール近郊の谷に集中しており、それにちなんで谷の名前がつけられた。ほとんどが個人の所有であり、鳩を寄せつけるために色あざやかに飾りつけているものもある。カッパドキアは、水と栄養があれば実りゆたかな土地なのである。しかしながらこの谷においては、鳩の家は岩窟教会の正面を印象的にみせるための建築上の特色ともなっているといえよう。

ネブシェヒール
カッパドキア地方の西端に位置し、古代名はニッサ。アナトリアの中心にあり15万人の人口を抱えている。セルジューク時代に城砦が置かれていた丘の裾野に町が広がっている。1726年に首長イブラヒム・パシャの建立したクルシュンル・ジャーミ(鉛板のあるモスク)やカヤ・ジャーミ(岩のモスク)は是非訪れてみたい。

カイマクル地下都市観光
 ネブシェヒールから南へ20kmの小さな町である。他の地下都市同様、アラブの侵入以前にキリスト教徒が隠れ住んでいた。地下8階で、各階は狭い廊下で連結しているが、緊急の際には直径1~1.5mの石臼状の回転扉によってこれを遮断する事もできた。新鮮な空気は煙突状の換気孔からとりいれられている。通路は延べ30kmにもおよび、15,000人が住んでいたと思われる。寝室、教会、集会場、貯蔵庫等、当時の生活のあとがうかがえる。

デリンクユ地下都市観光
カイマクル地下都市から南へ10km行くと第2の地下都市に着く。1968年に偶然発見されたもので、キリスト教以前からここには人が住んでいたと思われる(おそらくヒッタイト人)。深さ55m、表面積2,500m2の場所に1万人が住み、現在までに地下8階までの発掘調査が済んでいる。周辺にはまだ約30ケ所の地下都市があると予想される。地下1階には寝室、台所、居間、ワインセラーとうまや、2階には後陣のある教会、3、4階に台所と避難所、学校、洗礼堂が設けられている。空気筒は深さ80mにまで達し、最も下の階は貯水池として利用されていた。

ウフララの谷観光
火山ハサンダゥとメレンディス山地からの川の流れが数千年の時をかけて16kmの曲がりくねった渓谷を形成した。両岸の切り立った断崖に造られた100以上の岩窟教会はビザンチン帝国時代に発見されたが、一般人が近づくのは容易でない。渓谷は北のセリメ村から南のウフララ村まで広がりをみせている。セリメ村は一帯に散らばるビザンチン帝国期の岩窟教会巡りをする時の北の起点である。ウフララ村はメレンディス川が幾つかの支涜に別れる辺りの両岸に広がる平地にあり、川は周辺に温泉がわき出る自然が作った美しい橋の下を流れて行く。

*セリメからウフララへの渓谷巡り(教会抜粋)
セリメ村の北に岩を彫って造った修道院と、13世紀の「アラ・キリセ」(素晴らしい敦会)がある。内部のフレスコ画は損傷が激しく、現在は納屋として使用されている。続く左手に見られるかつての修道院、11世紀の「ディレクリ・キリセ」(円柱の教会)は二階建てで今も階段が残っている。聖人や殉敦者を描いたフレスコ画がある。「聖ジョージ教会」キリストの変容と昇天をテーマにしたフレスコ画が見られる。渓谷で最も重要な教会は「ユランル・キリセ」(蛇の教会)であろう。是非訪れてみたいこの教会の名は最後の審判に描かれている龍に由来し、十字形の基礎の上に馬蹄形の後陣と拝廊が備わっている。二人の天使とキリスト、セバステの40人の殉教者の一部、地獄の情景、25の天啓等を描いたフレスコ画は保存状態良好と言える。葬儀に使用された側堂にはコンスタンチヌスとヘレナ、聖母マリアと使徒達が描かれている。「アーチアルトゥ・キリセスィ」(木の下の教会)は周辺のそれの中で最古のもので、やはり十字形基礎により2つの側廊がついている。フレスコは良く保存されているが、いささか幼稚な印象を与える素朴なタッチで、キリストの生涯や獅子とダニエル他が表現されている。「スュンブッル・キリセ」(ヒヤシンスの教会)にはザカリアスの殺人や受胎告知のフレスコ画が残る。

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