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✫ トルコ旅行・観光ガイド
✫ トルコ旅行でおすすめトルコ観光地BEST10

1)トプカプ宮殿

トプカプ宮殿
トルコ語で、「トプ」は「大砲」、「カプ」は「門」を意味する。この宮殿の「海の門」の一つの前に昔二つ大きな大砲があった。それで、いつしかこの宮殿は、トプカプ「大砲の門の宮殿」と呼ばれるようになった。現在は、その海の門も大砲も残っていない。

トルコ観光に欠かせないトプカプ宮殿は約400年に渡り、オスマン帝国の歴代の君主たちの居城、政治の中心として1853年まで使われていた。宝物館では世界の富を集めた部屋で帝国の偉大さを感じさせる。金角湾、ボスポラス海峡、マルマラ海に囲まれた丘に建造され、中庭からの景色が素晴らしい。

調理場で毎日、台所で6,000人の為に、金曜日には16,000人の為に料理を作らなければならなかった。今ここで、世界一の中国の陶磁器の逸品の収集を見ることができる。全部で10,512枚もの皿があって、一度には展示できないので、時々変えているが、宮殿の蔵は陶磁器で一杯である。最後の部屋まで全て、中国製の陶磁器が展示されており、各部屋には、青磁、白磁、エンペラーズイエロー、中国製の伊万里のデザインの陶磁器がある。日本の伊万里港から輸入した陶磁器は、最後の部屋にある。10世紀から16世紀までの陶磁器は、シルクロードを通って、当時のイスタンブールの港ウスキュダルヘ運ばれてきたものである。


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2)ブルーモスク

ブルーモスク
内装飾のきめ細やかさで、世界で最も美しいモスクとも言われているスルタンアフメット・ジャーミィ。7年の歳月をかけて建造され、6本のミナレットが特徴のモスクです。モスクの中に入ると、数万枚とも言われる青を基調にしたタイルで埋め尽くされているので、ブルーモスクと呼ばれています。

内部に通じる3つの入口のいずれから入っても、外観を補う彩色、タイル、ステンドグラスの色彩豊かな装飾に出くわすことであろう。建築家メフメト・アーは彼の本職にふさわしいやり方で、モスクの内部を、宝石職人のような細心の注意を払って装飾した。内部は一つの巨大なユニットをなし、主ドームと副ドームは、広く尖ったアーチを支える4本の太い石柱の上にそびえている。260枚の窓から入る光に照らされた内部を覆うドームは、高さ43メートル、直径23メートルである。ドームと正面の外観は、あらん限りの美しさでインテリアにとも反映している。

モスクの内部の三方を囲むギャラリーの壁は、2万枚を越える見事なイズニク・タイルで飾られている。タイルの上の壁面とドームの内側は、彩色が施されている。


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3)アヤソフィア大聖堂

アヤソフィア大聖堂
アヤ・ソフィアは、世界の八大不思議の一つに数えられ、美術史上、建築史上、世界で最も重要な建築の一つである。この年代と規模で、現在まで良好に残りえた希有な史跡でもある。

本来は「ハギア・ソフィア」、現在は「アヤ・ソフィア」と呼ばれる建物は、ソフィアという名の聖女にではなく「聖なる叡知」に捧げられたのである。

かつてキリスト教の大聖堂として使われたアヤソフィアは、オスマン帝国時代入ると、ミナレットなどが加えられイスラムモスクとして姿を変えた建造物です。内部には聖母子のモザイク画やアラビア語で書かれている歴代カリフの名前なども見られ、まさにこの地の歴史の深さを感じることが出来ます。


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4)地下宮殿

地下宮殿
地下宮殿は、宮殿ではなく東ローマ帝国時代の貯水池としては最大の大貯水槽。周辺の地域に水を供給する水がめとして、重要な役割を果たしていた。貯水槽の遺跡の中で最も壮大で印象的な建造物である。6世紀に建てられたこの貯水槽には19km郊外にあるベオグラードの森から引水され、主に宮殿への給水の為に利用されていた。

合計336本の大理石円柱からなる。円柱には、アカンサス柱頭を備えたものや、目玉飾りで覆われた柱身、メデューサの顔が彫られた古代の石塊を土台にするなど、在庫品を利用したらしい。この貯水池は、ジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影場所として使われた。


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5)グランドバザール

グランドバザール

広さ30,700平方メートルの広さを持つ屋根付き市場。グランド・バザールの中には4000を超す店舗があり、66ほどの通りがある。イスタンブールと言えば東西の交流地で、ヴェネツィア商人やジェノバ商人たちが香辛料などを買い付けに来たところで、その活気は今でも残っている。所狭しと店舗が並んでいて、見ていても楽しい。

まるで一つの都市を思わせる、完全に屋根で覆われたこのバザールは、時とともに発展し、拡大していった。かつてここでは、各通りごとに同業の店が立ち並び、手工業製品の品質は厳しい管理のもとに置かれ、商業倫理と伝統がたいへん尊重されていた。

あらゆる種類の高価な布、宝石、武器、骨董品が、代々同じ商売に携わってきた商人たちによって完全な保証付きで売られていた。バザールのメインストリートには、主に宝石屋が、脇の通りには金細工屋が軒を並べている。これら小さな商店では価格はまちまちで、値切り交渉を前提に商売をしている。

バザールは一日のどの時間帯でも活気あり、混雑している。買物客の気を引くために店の売子たちは最大限に呼び込みの努力をする。


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6)カッパドキア

カッパドキア
風、雨、川はカッパドキアを今日の姿に変化させた侵食の三つの力と言える。伴い、激しい温度変化を特徴とする土地の気候は岩に亀裂を走らせ、その間の水が凍って体積を増やすと裂け目は更に深まり、春の雪解けがこれら一連の進展に拍車をかけた。

一帯を激しく削り取っていったのはやはり雨と川であり、クズルウルマック川に流れ込むネヴシェヒルとダムサ川やその支流は、カッパドキアの有名な渓谷の生みの親である。特にネヴシェヒル、アヴァノス、ウルギュプ間の古い谷底を埋めた火山灰の厚さは、所々で100mを凌ぐほどであり、激しい侵食の影響を受けている。雨は台地の表面を流れ、少しずつ水路を深め、果ては深く口をあける渓谷を作り上げた。侵食された土地や火山からの噴出物が川によって運び去られる際、支流の合流するあたりで堆積して突然に小山ができたりなどもしている。

標高1000mを越すアナトリア高原に位置するカッパドキア地方では4世紀ごろからキリスト教徒が多く住むようになったが、9世紀ごろからイスラム教徒の弾圧が始まる。この弾圧から逃れるために洞窟に造られた当時の教会や修道院の一部が野外博物館として公開されている。フレスコ画なども当時のまま残っている。


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7)エフェソス遺跡

エフェソス
古代ローマ遺跡の中でも最も保存状態がいいエフェソス遺跡。見どころは沢山ありますが、1万冊以上の蔵書を備えていたというセルシウス図書館がある。きめ細やかな美しいレリーフも見逃せないものです。また大劇場は2万5千人も収容できる規模である。そして当時クレオパトラとアントニウスが歩いたと言われるアルカディアン通りも見どころ。

数世紀の間、キュチュク・メンデレス川によって運ばれる土砂の堆積はエフェソスを少しずつ海から遠ざける結果を生んだ。港の発掘はいまだ行なわれていないが、沼地の周辺で港に属する倉庫等の名残りや、港の一部であった小さな湖を見る事ができる。

海上交通の要点に位置すると言うエフェソスの港は、都市に大きな発展をもたらし、その為、この港に除々に堆積するキュチュク・メンデレスによる泥土に対して予防対策をとる事は、都市の歴史を通じてその、死活間題に関わる大きなテーマであり続けた。

エフェソス人の様々な努力にも拘らず、港は泥土で埋まるばかりであった。今日、当事の港は海から4.5km内地の湿地に見られる小さな湖に姿を変えている。


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8)トロイの木馬

トロイの木馬
古代エーゲ文明の一つであるトロイ遺跡は、ホメーロスの長編叙事詩「イーリアス」でトロイア戦争の舞台として登場する古代都市です。物語はトロイアの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネを奪ったことがきっかけです。憤慨したスパルタ王メネラーオスは兄の助けと借りてトロイアに攻めます。しかし長年に渡り勝負が決まりません。作戦を練り直し、木馬を残し撤退したように見せかけます。逃げたと思ったトロイア戦士たちは、木馬を城内に入れて勝利の祝をあげていました。すると木馬の中に隠れていたギリシャ兵が急襲して、トロイアを倒したという物語です。

誰もが伝説であると考えていたこの物語をドイツのハインリッヒ・シュリーマンは事実であると信じて発掘した遺跡です。1873年にシュリーマンがトロイで発見した武器、鋼製品、宝石、金の品々など先史時代からのトロイの財宝はべルリン博物館に展示されています。1998年に世界文化遺産に登録されました。トロイの木馬の復元があり、写真スポットとして人気の場所です。


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9)パムッカレの石灰棚とヒエラポリス遺跡群

パムッカレ
パムッカレの石灰棚は炭酸カルシウムを含んだ温泉が、長い年月をかけて沈積してできたもので、日が沈むころには白い石灰棚は夕日で茜色に染められます。現在入浴は禁止されていますが、裸足になって石灰棚を歩くことは出来ます。石灰棚の上に広がるヒエラポリスは紀元前190年にペルガモン王国の都市として建設されました。円形劇場、浴場、1000人が入浴できた大浴場跡などの遺跡が残っています。当時から温泉保養地として栄えていました。

世界遺産にも登録されているパムッカレですが、何千年も前から温泉地(治療地)として知られていた所です。水温は35度から100度の間で、色は透明です。カルシウム、マグネシウム、炭酸水素塩などの成分が多く含まれていてリュウマチ、神経痛、関節痛などに効くと言われています。

トルコでの温泉の入り方は、水着を着て入ります。シャワーキャップが義務付けられているところがほとんどです。日本人のように毎日、湯に浸かってお風呂に入る習慣がないためか、少し温度が高いお湯になると、すぐに上がってベンチでおしゃべりしたり、休んだりしています。どこの国に行っても、温泉は体が癒されますよね。パムッカレに行った際には、スパホテルでぜひ旅のリフレッシュとして温泉プールを体験なさって見てください。翌日からは、また元気に旅が楽しめますね。


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10)コンヤ

コンヤ
トルコ内陸部アナトリア地方の主要都市のひとつで、人口規模からいうとトルコ大6位の街である。歴史は古く、紀元前3000年から続いている。

ビザンティン時代には、コンヤはイコニウムまたはコニイェと呼ばれていた。建築遺跡の断片や石棺、石碑などコンヤの近くで発見されたものを観察すると、ローマ時代に属する都市も、一部はビザンティン時代に存在したということがわかる。

11世紀末以降はセルジューク朝の首都として栄えました。メブラナ・ジェラルディン・ルーミーが始めたイスラム神秘主義旋舞教団の拠点でした。市内には,セルジューク時代に建てられたモスク,神学校やメブラーナの聖廟,考古学博物館などがあり、多くの人が訪れます。


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更におすすめの観光スポット10選


1)イスタンブール海峡クルーズ

istanbul bosphorus view

国内のみならず、世界で最も美しい景観の一つイスタンブール海峡(ボスフォラス)は、都市をアジアとヨーロッパ大陸に二分し、マルマラ海と黒海を結ぶ31.5kmに亙る海峡である。ヨーロッパ側の海岸線は35km、アジア側のそれは55kmに及ぶ。深さ50~120mの海峡の長狭地点はルーメリヒサルの660m、逆に最も広いのは黒海と交わる辺りの3.4kmと記録されている。海流は平均時速3~4kmと速く、悪天候の折りには時速8~9kmにもおよぶ。

表面の流れは黒海からマルマラ海へ、水深40mの所はその逆の流れが渦をまいているが、これは両方の海の海水濃度の違いによるものである。

特に夏の、しかも週末ともなるとあらゆる階層のイスタンブールっ子が涼をとろうと殺到する沿岸には、しゃれたカフェや茶店、レストランが多い。


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2)イスタンブール、スレイマニエ・モスク

スレイマニエモスク

スレイマニイエ・モスクは、建築上の一大傑作である。スレイマンⅠ世は、16世紀のオスマン朝の黄金時代を築き、47年という最も長い期間在位したスルタンであった。この偉大なスルタンは、自分自身の名を冠したモスクの建設を、天才建築家ミーマール・スィナンに委ねた。彼はモスクとそれを取り巻く巨大な複合建築群の建設を、1550年から1557年にかけて完成させた。オスマン朝建築の古典期を築き上げたミーマール・スィナンは、自身の天才をここで遺憾なく発揮したのである。

モスクの中庭の周囲を取り巻く巨大な複合建築群には、イスラーム学院、図書館、公衆浴場、給食施設、キャラヴァンサライ、病院、店舗があった。

モスクの外観は、遠くから見るとより素晴らしい。ガラタ塔と、金角湾沿いのガラタ地区は、このスルタンのモスクの壮大な景色を眺める格好の場所である。4本のミナレットをもつモスクの主室を、巨大なドームが覆っているのが見える。


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3)イスタンブール、ドルマバフチェ宮殿

Dolmabahce Palace

ヨーロッパや極東の珍しい美術工芸品が、ドルマバフチェ宮殿の至る所を装飾している。光輝くクリスタル・ガラスのシャンデリア、燭台、暖炉が、宮殿の多くの部屋で美を競っている。

スルタンや宮殿関係者たちによって日常生活や儀式で用いられた何千点もの貴重な品々のいくつかは、倉庫から出されて二つの部屋で展示されている。金、銀、クリスタル・ガラス製品、ティー・セット、食器セット、化粧道具、装飾品は、大部分はヨーロッパからもたらされたもので芸術的価値も非常に高い。

世界の宮殿の中で最大の大広間は、ここのムアーイェデ・サロヌで、縦が44メートル、横が46メートルもある。36メートルの高さのドームから4.5トンの巨大サイズのクリスタル・ガラスのシャンデリアが下がっている。重要な政治的会議、条約の調印、祝典に使われたこの広間は、かつては床下にあったかまどに似たシステムで暖房されていた。セントラル・ヒーティングと電気は後になって導入された。大広間の上のギャラリーは、オーケストラと外交団にあてられていた。

長い廊下を通ってたどり着くハレムの部分には、スルタンの寝室、母后の区画、その他の女性や召使たちの部屋があった。
ハレムに通じる廊下には狭い間隔で丈夫なドアが取り付けられた。宮殿にある600枚を越す価値ある油影画の一部が廊下の壁にかけられている。


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4)イスタンブール、考古学博物館

イスタンブール 考古学博物館

アブドゥルメジット2世の時代に画家で収集家であるオスマン・ハムディ・ベイが設立し、アナトリアや中東諸国、北アフリカ等かつての帝国領土であった地方からの出土品を中心に、現在、世界で最も見事な骨董品のコレクションを保有している。

二階建ての一階は1~20番の部屋から成り、二階は彫像を中心に構成されている。一階の展示品の中で最も重要なものとして:ギリシアとペルシアの戦いと狩りの様子を彫刻したアレキサンダー大帝の石棺(B.C.4世紀)、悲哀に沈んだ女性達を彫ったモールナースの石棺(B.C.3世紀)、死者とその妻、猛獣と格闘するエロス達を彫ったスィダマラの石棺(コンヤよりB.C.3世紀)、シドンからの最古の石棺(B.C.5世紀)であるサトラップ(総督)の棺、背丈のある蓋が特徴のリキアの石棺(B.C.5世紀)、アッソスのアテナ神殿からのフリーズ、ハリカルナソスの霊廟からの雌ライオン(ボドルム、B.C.4世紀)、トラレスの若者像(B.C.1世紀)、ローマ皇帝の胸像の他、イスタンブールで発見されたビザンチン帝国時代の発掘物が挙げられる。
二階の展示物は装身具、硬貨等を中心に構成され、特に有史以前の金の宝石類は注目に値する。


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5)ペルガモン・ベルガマ


1330年頃ペルガモンと領地はオスマン・トルコの手に落ち、モスクやバザールが建設されベルガマと呼ばれる様になった。アスクレピオン、考古学博物館、赤の広間等がみものである。

古代都市ペルガモンは約6平方km、それに対してこの百年間に発掘が行われたのはわずか2-3%にすぎない。新劇場、円形闘技場、競技場など、ローマ時代の歴史を語る重要な建物も確認されているがまだ発掘は始められていない。


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6)ハットゥシャ遺跡:ヒッタイトの首都

ハットゥシャ

ハットゥシャの歴史はB.C.1900年にまで遡る。B.C.17世紀にはクッサーラの王がボアズキョイを首都に定め、ここをハットゥシャと呼ぶようになった。

ハットゥシリがヒッタイの初代皇帝となったのもこの頃と言われる。沈滞期を凌いた後、ヒッタイトはB.C.15世紀、トゥタリヤ2世の支配の下で再び頭角を現わし始め、大ヒッタイト帝国の基盤を固めたのである。ヤズルカヤの聖所はこの時代に造られている。


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7)サフランボル


首都アンカラから車で約4時間。黒海に近いサフランボルは独特の木造家屋の町並みが世界文化遺産に登録されました。歩いて回れるほどの小さな石畳の町並みは、城下町のような門前町のようなどこか懐かしい雰囲気につつまれています。

「サフランボル」の地名はこの地にサフランの花が群生していたことから付けられたというだけのことはあり、サフランの花を使ったお菓子や石けん、化粧品など町のあちこちで売られていて、お土産物屋さんを見て回るのも楽しいです。交通の便はあまり良くないところですが、時間をかけてたどり着くだけの価値は十分にある町です。


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8)トルコ共和国の首都アンカラ


古代にはアンキラ、後にアンゴラと呼ばれたアンカラは、アンゴラウールの産地として知られ、今も重要な織物産業の一つとなっている。

今日のアンカラは都市としての規模はイスタンブールに次ぐ。アタチュルク(トルコの父を意味する)と尊敬を込めて呼ばれた初代大統領ムスタファ・ケマルは新生共和国の首都として、国土の中心に近いアンカラを選び、西洋の先進的な面を積極的にとり入れながら改革を進めた。つまり、首都は地理的にヨーロッパから遠ざかったものの、近代国家としてのトルコはヨーロッパに近付いたといえよう。


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9)エーゲ海大の町、イズミル

トルコ・イズミール

20世紀初頭、イズミルはオスマン帝国の諸都市の中でもイスタンブルやテッサロニキに並ぶ文化と商業の中心地となり、干しブドウ、種なしブドウ、アーモンド、ファエトン(馬車)、国際見本市、オーデコロン、“ゴールドドロップ”、ナルギレ(水パイプ)で有名になる。

前世紀末に20万人の人口は現在350万人に膨れ上がっている。タバコやブドウ、イチジク、オリーブ、オリーブ油などの主要農産物と共に、綿や繊維製品は世界中の国々に輸出されている。現在イズミルはトルコの最大輪出港として重要な役割を担っている。


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10)地中海、アンタルヤ


トルコ観光業を担う最も重要な都市アンタルア.北西のカライン洞窟からは石器時代の品々が出土している。
B.C.1900~1400年の間はヒッタイト帝国の領地であり、後にパンフィリア、リキア、キリキアの各州に分裂独立した。 B.C.1100~800年にはフリギアとリディア人の、後にはペルシアの支配下におかれ、一時アレキサンダー大王に征服ざれたが、王の死後はその武将に引き渡された。その名を設立者であるベルガマ王アッタロス2世(B.C.2世後半)に因んだアンタルアは、B.C.67年にローマの属州となっている。

十字軍はパレスチナに向かう為に広大な小アジアの大地を横断するより、アンタルアから海路をとる方法を採用した。

13世紀の初期にセルジューグトルコ人に征服されヽ短期間ビザンチン帝国の支配下に入った後、1426年にはオスマン・トルコの領土に組み入れられた。イヴリ・ミナーレ、ハドリアヌスの門、カレイチ、考古学博物館等が見所である。


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